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理想の面白いとは

2020-12-30日記

・僕は凝った物を作ることが苦手だ。なので、作っているコンテンツは大体 1 日の間で作りきっている。

・単純に飽きっぽい性格というのが原因のほとんどを占めているが、もう一つだけ理由があって、自分の作っている物に「頑張ってる感」を出したくないというのがある。

・「頑張ってる感」というのは、率直にいうと完成度が高いということである。作品として評価する際に完成度が高くて悪いことがあるのだろうか?恐らく"無い"。でも、僕は「頑張ってる感」が嫌いなのだ。それは何故なのか。

・頑張りたくないからである。

・こういうと滅茶苦茶に駄目な奴みたいだが、頑張りたくないのだからしょうがない。

・別に作品の作り手は、その高い完成度に対して「みんなも頑張れ」という意図を込めているとは考えづらい。それが頭でわかっていても、「頑張ってる感」のある作品を見ると、身体が勝手にへこんでしまうのだ。

・凄い元気が無い人みたいな書き方になってしまっているので、ちょっと切り口を変える。

・心にはキャパシティが存在する。どれほど面白いコンテンツであっても、心に余裕が無ければ絶対に笑うことは出来ない。

・それを前提として考えた時。完成度が高い作品というのは、楽しむ為に求めるキャパシティが高いんじゃないだろうか?。そして、完成度が低い作品というのは、逆にキャパシティが低いはずだ。

・つまり僕は完成度を下げることで意図的に楽しむ為のキャパシティを限りなく低くしたいのだと思う。いつ、どこで、どんな時に見てもちょっとだけ笑える。そんなコンテンツが理想の面白いなのだと思う。

・もっというと、完成度が高くても要求するキャパシティが低い面白いが作れたら、本当の意味で理想の面白いなのかも知れませんね。

・なんか長くねぇか今日の文章?

・そろそろ終わりましょう。

・明日は 2020 年最後の更新なので、明日の僕は頑張ってください。

・頑張りたくねぇっつってんだろ!!

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