作者は神じゃない
2020-12-22日記・キャラクターを作者が完全にコントロールしていると思う人は、案外多いのではないだろうか。また、そういう作者も少なからず存在するのではないだろうか。
・しかし、実はそのようなことは全くないタイプの人間も存在するんです。はい、僕です。
・冷静に考えると自分で作っておいて何を馬鹿なことを言っているんだ?と思うかも知れない。だが、それでもなお。確かなのだ。実際にそうなのだから仕方がない。
・例え話をする。有名なゲームである GTA シリーズ。クライムアクションと言われるほど自由度が高く、プレイヤーの意思で幾らでも犯罪行為が出来るゲームだ。このゲームをする時に、プレイヤーの性格はプレイに反映されないと思うだろうか?反映されると思う人の方が多いはずだ。逆にマリオシリーズをプレイする際にプレイヤーの性格がプレイに反映される幅は GTA と比べるとかなり狭く感じるはずだ。
・もうおわかりだろう。要は現実に近ければ近いほどフィクションであっても各々の性格が色濃く反映されるということなのです。つまり、僕は創作物のキャラクターひとりひとりと接する時に、実在の人物と同等かそれ以上のストレスを感じて事なんですわ!!
・それって滅茶苦茶不利じゃない?
・そりゃやろうと思えば完璧に登場人物をコントロールすることは出来ますよ。僕が作ってるんですから。でもね、それをやるとですね、そいつが次にやることが全く分からなくなっちゃうんですよ。だってそりゃそうでしょ。僕が動かしたんだから、次にそいつがやることなんて分かるはずがない!こうなると最後まで僕が動かすしかなくなっちゃうワケ。そんなの名前が違うだけで中身は僕みたいなもんです。あまりにも、あまりにも辛い。
・まとめるとですね。僕は人間関係などで他人の一挙手一投足をコントロールするのが苦手で、それは自分が創作をする際にも当てはまってしまうが故にキャラクターをコントロール出来ないということです。
・何が言いたいかっていうと僕の創作物に「こうなってほしい」とか「こういうのどう?」とか言われても、決めるのは僕じゃなくて僕のキャラクターなので、どうしようもないんですよね、ってことです。今日はもうコレだけ覚えて帰ってもらえれば良いかなと思います。
・この今日の日記も……本当は……もっと真面目にさ……人の役に立つこととか……ちゃんと今日やったこととかを書きたかった……。でも、僕の中の吾味人美が勝手にこう書いちゃったんで……仕方ないですよね……。
・作者の責任から逃げるな
・スイヤセン、へへっ。